初めまして!当サイトにようこそいらっしゃいました。管理人のトモヤです。このページでは私のプロフィールを紹介したいと思います。
自己紹介
- 名前:トモヤ
- 職業:公認会計士
- 住んでいる地域:関東近郊
- 趣味:クイズ、お笑い、飲み会、音楽、カラオケ、筋トレ、麻雀、効率化
- 嫁:天然。最近までハワイは日本にあると思っていた。Mrs. GREEN APPLEが大好き
- 娘:天才。父の強い希望で東大理三を目指す。英才教育の結果、幼稚園児でありながら掛算九九、元素名をマスター。最近では国名、歴代天皇の暗記に奮闘中。目黒連が大好き
来歴
第一の挫折(大学受験)
高校まで田舎育ち。地元の進学校に通い東大(理科Ⅱ類)を目指すが知能が足りず撃沈。
当時の私は本当に勉強が嫌いで、ただただ世の中の「たくさん勉強していい大学に入って、優良企業に就職し安定した人生を送る」という幻想に囚われ、何かに追われるように目的もなくただ闇雲に勉強をしていました。
高校卒業まで色々な物を我慢していた反動で大学4年間はひたすら遊び通しの毎日でした。高校までの財産で留年こそしませんでしたが、
サークル→バイト→飲み会→麻雀→女→…をひたすらループする日々。今思い返しても、本当に楽しい大学生活でしたが、何の生産性もない大学生活でした。
第二の挫折(就職活動)
そんなこんなで就活を控えた大学3年生の夏。周りは自己分析やらインターンやら粛々と進めているのを横目に、「みんな頑張ってるなー、だけど自分が特にやりたいこととかよくわかんないしな~。まあ理系だし、とりあえず大学院いっとけばいっか」くらいのノリで全く真剣に取り組みませんでした。
しかし、研究室の教授との相性が最悪で、もうこれ以上研究したくなくて、大学院進学を諦めて就職活動を開始しました。が、時すでに遅し。大企業の採用活動はほぼ終了し、中小企業、公務員の選択肢しか残っていませんでした。結果、条件の良い企業は軒並み不採用となり、公務員試験も受けようと予備校に通いましたが勉強がめんどくさくなって中途解約。
残されたのは実家に戻ってスネをかじりながら地元企業に就職する道だけでした。
高校まであんなに必死こいて勉強して、その結果がこれかと、人生に絶望した瞬間でした。どこで何を間違えたんだろうか…そしてトモヤの人生の針は徐々に狂い始めます。
第三の挫折(配属)
久々に実家に戻ると、家族は心から歓迎してくれました。上の兄弟はみんな家から出て行ってしまいましたから、唯一戻ってきた私を温かく迎えてくれました。車通勤になるため、大して貯金もない私に親は新車を買ってくれました。「よーし、これからは心機一転、地元で頑張って働いて地方経済に貢献するぞー」と息巻いた矢先、とんでもない事件が起こります。
【辞令】トモヤ殿 福岡営業所への配属を命ずる
…?
……?
ええええええええええええええええええええ!?
いつも偉そうにしている人事部長が頭を下げてよこしてきた衝撃的な辞令に、絶句せざるを得ませんでした。
というのも、ここには二つの裏切りがあったのです。
- まず一つ目、私は採用の際、理系としての知識を活かすべく「開発職」の職種で応募し、内定をもらいました。そのため営業をやるなんて全く寝耳に水だったわけです。
- そして二つ目が、地元から離れるということでした。私の地元が本社の会社でしたから、研究所も本社にあったため、開発職として働けるのであれば地元に、実家に居続けることが出来たのです。しかし、配属先は行ったこともないし知り合いも居ない遠い土地。
せっかく買ってもらった新車も、数か月しか乗ることができず。結局親が古い車を売って私に買ってくれた新車に乗ることになりました。
勤務先の会社には心から腹が立ちましたし、失望しました。しかしそれと同時に、
「自分の人生を他人にコントロールされている間は、幸せにはなれない。自分の思うとおりに生きたければ自分の人生を自分でコントロールできるようにならなきゃいけない」
という教訓を得ることになりました。この教訓はいまでも私の思想の核となる部分を構成しています。
第四の挫折(詐欺に遭う)
失意のなか開始した福岡生活。しかしながら想像とは裏腹に、その生活はとても楽しいものとなりました。おいしい料理、夜遊び、近場に何でもあるコンパクトシティ、可愛い女の子がたくさん(笑)
そして福岡はとても活気のある街で、色々な人とも知り合いました。友達もたくさんできた半面、良くない人ともたくさん知り合うことになりました。中には怪しいビジネスをしている人もいました。ただ、その頃の私は自分の人生にも会社にも失望していて、「楽に稼ぎたい」とか「人生を豊かにしたい」とか、そういう言葉に簡単に踊らされる状態でした。なので美味しい話が来た時に、パクっと食いついてしまったのです。最初はネットワークビジネス、そして未公開株投資、FXの自動取引ビジネス、オーナー商法、などなど、どう考えても怪しい投資話に次々とお金をつぎ込んでいきました。
そしてあれよあれよという間に3年後、自分が騙されていることにようやく気づいたとき、合計で約600万円を奪われる結果となりました。
薄給の中、慣れない土地でやりたくもなかった仕事に必死に取り組み、上司や取引先に罵倒され、遊びも我慢して食費も切り詰め少しずつ貯めた600万円。3年前とあまり変わらない預金残高を見て私は悟りました。
お金のことを勉強しなければ、一生搾取され続ける人生だ
と。
そう気づいた日から、私は必死に勉強を始めました。恥ずかしい話ですが、600万円を失って初めて、世の中に楽して金が入るというオイシイ話なんて無いということに気づいたのです。
転機:公認会計士を目指す
その後、税金のこと、経営のこと、会計のことなどを独学やセミナーに通うなどして勉強しました。この時の勉強は本当に楽しかったことを覚えています。
何のためにやっているのか分からないまま勉強していた高校時代とは全く違う、自分の経験に基づいた活きた勉強。自分の人生を豊かにすることに直結する勉強。その後FP2級を取得し、簿記2級まで取得したところで、色々と調べた結果、会社を辞めて公認会計士を目指すことにしました。
なぜ公認会計士だったのか?理由は、稼ぐ力を確実にかつ最短で高めたかったからです。私には人生に明確な目標があります。そのために経済的自由を手に入れ、すなわちFIREして人生の目標のために使う時間を確保したいと考えました。そしてFIREの礎となる投資原資を作りたかったのです。
もちろん他にも色んな選択肢があったのですが、「試験の難易度」、「給与水準」、「就職までの期間の短さ」、「総合的なお金に関する知識」等を総合的に勘案して、公認会計士になることを目指しました。そして会社を辞めてから2年半、起きている時間の大部分を勉強に費やし、無事目標としていた年の試験にストレートで合格することが出来ました。
そして今では、公認会計士として働きながら、こうしたブログでの情報発信や投資を実行しながら、FIREに向けて活動しています。
著者の思い
上記の通り、私は今日までの生涯で数々の挫折を味わってきました。文豪の言葉を借りると
恥の多い生涯を送って来ました。
人間失格(太宰治)
まさにその通りです。ですが恥が多いことを誇りに思います。たくさん間違えて、絶望した結果、大切なことを学ぶことが出来ました。そして私が苦しい思いをして学んだことを、こうして皆さんに伝えていけることは本当に幸せなことだと思います。
私が経験したことを、他の誰かが経験する必要はありません。この短い人生、回り道をしている暇など無いのです。一日でも早く、最短ルートで幸せをつかむ必要がありますし、我々にはその権利があります。ですから、私の経験や失敗談を知っていただき、二度と同じ失敗をする人が現れないようになってくれることを願っています。
また、私と同じようにFIREしたい(経済的自由を手に入れたい)と考えている人にとって、たくさん挫折をしてたくさん勉強してきた私だからこそ伝えられ有益な情報を提供していきたいと考えています。
一緒に学んで、お金に縛られない自由で豊かな人生を手に入れましょう。